2009年10月のエントリー 

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未来の私のために

2009-10-28 (Wed) 21:37[ 編集 ]
ここ数日、いろんなことを考えました。


前に、「子どもがいない人生」を考えると書きましたが、また考えています。

「子どもがいない人生」自体を、私はネガティブなものと思ってたかもしれない・・・
自分の願いが玉砕された結果なわけだから、
まぁ、ネガティブなのかもしれないですが。

だけど、子どもがいないということが、絶対的に悲観するものかって言ったら
決してそうじゃない。

自分が幸せになるために、
子どもをもたないことを、前向きな気持ちで見つめていってもいいんじゃないか。
・・・なんて思うようになりました。



今、躍起になって治療をし、不安になっては泣いて、
時には「なんで私ばっかりこんな辛い思いをしなきゃならないの?」と葛藤する。
自分ばかりが不幸だと思って、どん底まで落ちる。
落ちても落ちても、まだ落ちる。

葛藤するのも、もちろん大事だとは思うけど
でもそういう時ってたぶん、充実した時間にはなってない。きっと。

赤ちゃんを授かりたくてやってきてる事を、人生のムダなものにしたくない。
何か意味があるものと思いたい。

今こうやってあくせくすることから、何がうまれたんだろう。

  私を産んでくれた、両親への感謝?
  旦那との夫婦の結束?
  人の体温のあたたかさ?
  健康的な(?)生活?
  
なんだろう。今はよく分からないけど・・・。



だけど、これから何年も先の私が幸せに生きていくために、
「卵管閉塞」って事態を受け止めていくことって、すごく大事だと思う。
子どもができても、できなくても。

子どもができたらできたで、
「兄弟を作ってあげられない」とかって絶対クヨクヨ悩むだろうし(悩むのが趣味だから)、
「ちゃまめさん、二人目作らないの?」とか聞かれたりするだろうし。
子どもができないなら、ウジウジするのは、また然り。

結局、一生付きまとってくるもののような気がして、
だったら、やっぱり、この事態を受け入れるなら「今」しかないんだよな。

逆に言えば、今のうちに受け入れないと
死ぬまで、脱ぎきれない皮を引きずって、幸せにはなれない気がする。

だからって、どうしたらいいのかは、まだ分かりません。




なんて、こんなことを考えるきっかけになったのは、
「両親に孫の顔を見せるのは、弟がやってくれてるから、まぁいっか」
と思ったことです。
その代わりに、私ができることは何だろう?って。
愛情を注いでもらった両親へ返せることは何だろう?
・・・・・・・何ですかね?(汗)
私が私の身体を責めないことが、いちばん最初にすることかな。

旦那は、この事態の同士なので、特別なことはしません。
ただ一緒に歩いていきます。



こういうことを書くと、まるで子どもを諦めてしまったかのようですが
決してそうじゃないんです。

前に読んだ本に、
「不妊ストレスを強く感じてきた人は、
 妊娠してから、妊娠している自分を受け入れられないことがある」
ってあったのを思い出したことも、考えるきっかけのひとつでした。

そう、がっちゃんのためにも・・・・・・なんですよね。


自分自身の思いが少し変化してきた中で、
旦那や両親が、「体外受精で子どもを授かるもの」と確信めいた感じでいるのが
ちょっと切ないところではありますが、
結局のところは、私自身にいちばん響いてくるものだから。。。




行ったり来たり、グダグダ書き連ねてきましたが、
2回目の採卵の頃や、判定日(・・・迎えられるといいなぁ)の頃に読み返したら
きっと鼻で笑うことと思います。
でも、冷静な今、思ったことを残しておくことにしました。


そして、日曜日から数日にかけて書いたブログなので
話がよく見えないかもしれないです。スミマセン手書き風シリーズ汗1

ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございましたハート





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